きみとおなじゆめを

曙光がさすころ、長い戦いはやっと終わりを迎えた。
竜から人のかたちに戻ったフォウルは、向かい合ったリュウを透かして朝日を、ひいてはかつて愛しんだ世界をみつめるように、せつなく眼を細めた。
「迷っていたのは、私…か…。
 そうか…、うつろうもの…。弱く…おろかで…矛盾にみちて…」
次第に力を失う言葉と一緒に透けていきながら、
「そして…うつくしい」
最期にフォウルは微笑んだ。
リュウは両腕を広げて静かにフォウルを抱きとめた。声にはしないまま、くちびるで小さく、おかえりと囁く。
瞬間、枷を失ったフォウルの意識が流れ込んでくる。
なにが、フォウルに心を決めさせた?
フォウルの中心でついにとける事の無かった、氷の核のような悲しみを感じとりながら、リュウは眼を閉じた。


うつろわざるものでも、ゆめをみることがあるのだろうか。
傷を負って倒れ、マミに拾われて幾日かが過ぎたころ、フォウルは戯れにそんなことを考えたものだ。
老人につきあって釣り糸を垂れ、マミの野良仕事を手伝い…このままの暮らしも悪く無いと、そう思い始めてすぐのこと。
村をつらぬく粗末な農道。そこに似つかわしく無い帝国兵の姿を認めた時フォウルは、自分の一瞬の願いがまさしくはかないゆめでしかなかったのだと、ぼんやりと思った。
だが、あの程度の人数ならばやり過ごす事もできるか…。
そう思い、そんな風に考えた事に自分で驚く。
「なにを考えている…?こんなちっぽけな村など、帝国兵もろとも蹴散らしてしまえばいいではないか」
追っ手から身を隠すようにマミの家へ戻ってしまった自分を理解できないまま、彼は掌をみつめた。
この手はそれが出来る。あの程度の数の兵に、震える手でくわを振り上げた農民。すべてひとまとめに、この村を、焦土にして。
だが、ひとりの娘の笑顔がそれをひきとめる。
胸に浮かんだ面影を打ち消すように、
「おろかで、くだらぬいきものだ…」
そう呟いた瞬間、たてつけの悪い戸を体当たりするように揺らして、小さな影が飛び込んできた。

髪をふり乱したひとりの娘。この家の住人、マミだった。
チリン。彼女がいつも身につけている鈴が、こんな場面には不似合いな可愛らしい音をたてた。
抱えた太い木の棒を、ささくれが肌に食い込む程に抱き締め、大きな眼をいっぱいに見開いてフォウルを見つめる。
静かに見返して、フォウルは微笑んだ。おそらくは、娘とであってからはじめて。
そうか…。これでいい。
怒りも、哀しみもない、まして失望などある筈も無い。むしろ、感じるのは安堵だった。
「そうだな。
私をかくまったお前が私を捕らえなければ、お前が白い眼で見られてしまうな…?」
だが、マミは、彼の言葉など耳にはいらないかのようにくるりと身を翻し、入ってきたばかりの引き戸を閉めて、がっちりとつっかえ棒を噛ませる。
崩れ落ちるように座り込みながら、両腕をつっぱり、粗末な戸を押さえ付ける。追っ手が、この家に踏み込むことのないように。
そうしてからフォウルを振り仰ぎ、青ざめた泣き笑いの表情で言った。
「最初から、ただのお人だとはおもってませんでした…。もっとはやく出ていく事だってできたのに、おらが引き止めたばっかりに、こんなことになっちまって…」

逃げて、と娘は懇願した。
「竈が壊れてるから。すこし狭いけど、そこの裏の壁から、家の裏にでられます」
フォウルは、動く事が出来なかった。何を言えばいいのかわからないまま、ただ娘を凝視していた。
見返す眼差しのなかに、後悔していないという声を聞いたように思って、彼は首を振った。
消え入る様な生命の流れしか持たないうつろうものは、大きな流れに飲み込まれるしかない。この娘の行動も、運命の流れのうち。
こころをうごかすことはない。
目覚めてから僅かのあいだに、何があったか思い出すといい。自分はもう、ヒトという存在がどんなものか、理解したはず。
なのに…。
なのに何故、動けない?
この娘にかける言葉をもとめて、立ち尽くさなくてはならない…。

突然、ガタガタと戸が揺すられた。次いで、開けろという怒号。
思ったよりずっと早く、この家が知られてしまったのだ。
うさんくさそうにフォウルを見ていた地主あたりが、案内したのかもしれなかった。
開かないと知ると、今度は乱暴に戸を叩きはじめる。
マミが細い腕に力をこめた。
「いって!」
まだだ、まだ言葉がみつからない。
けれどフォウルは身を翻した。自分は、大きな一本の運命の奔流。巻き込んだ小さな流れにかける言葉も、思いももたない…。
「かまど…」
娘の細い声に、振り返る。
マミは笑っていた。腕が震えるほどに力をこめて戸をおさえながら、フォウルを見上げて。
「かまど、こわれてるの、こんな時に役にたっただね…」
あの日。傷を負って倒れたフォウルがこの家ではじめて目覚めた日にも、この娘はこうして笑っていた。
壊れた竈から煙が溢れてきて、咳き込んだフォウルに謝りながら、なにがそんなにおかしいのかと呆れるほど。
いま解った。
娘はおかしかったのではない。嬉しかったのだ。
出会えた事が嬉しくて、うれしくてうれしくて…それで笑っていたのだ。

バカなことを。
光が奔るように頭に浮かんだ考えを振り捨てて、フォウルは今度こそ身を翻した。
背後で、なごりを惜しむように、かすかな鈴の音が響いた。

「いません、女だけです!」
両手を後ろ手に縛られて、マミは土間に押さえ付けられた。
冷たい土の床に頬をあてながら、歯を食いしばるようにして祈る。
逃げて欲しい。逃げ切ってほしい。
「この女はなんだ?」
身を引き上げられる。大きな赤い鼻をした、奇妙な風体の老人が感情の読めない眼でマミを見据えた。
「や、奴をかくまっていた女です。ですが、どうかお信じ下さい。私達はそんな咎人だとは露ほども知らずに…」
地主の、もみ手をしながらの言い訳を遮って、老人が尋ねた。どうやら彼が、この場の指揮をとっているらしい。
「一緒に暮らしていたというのか?」
探るような眼差しをうけて、マミは後じさった。
このお人は、なんだかこわい…。
ふむ、と頷いて老人は傍らの兵士に命じた。
「…呪砲が使えるかもしれん。連れていけ」

世に、呪いというものがあるのは知っていた。
東の大陸との間に、長い長い戦があったのも。その戦は大勢の人間の命を奪い、マミを孤児にして、つい最近まで続いていた。
けれど、ものごころついてから一度も村を出た事のないマミは、東のいくつもの街を呪いの底に沈めた、呪砲という兵器が近隣の街アスタナに存在することを知らなかった。
いま、戒められたまま連行されて、はじめてそれを仰ぐ。
周囲の家々に影を落とすほどに巨大で、くすんだ金色に輝く砲身には、村の廟でしかみたことのないような呪言がびっしりと刻み込まれていた。
街は明るく、砲台の下では子供が走り回って、笑い声すら聞こえる。なのに何故だろう。マミはぞっとした。
おぞましいものがすぐ側にあるのに、誰もそれに気付いていない。日の光の下だからこそよけいに感じる、肌の粟立つような恐ろしさ。

兄ちゃん、逃げ切れただろうか。
閉じ込められた一室で、マミは無理にも思考の行き先を逸らした。
でないと、自分がこれからどうなるのか、どうされるのか、考えてしまいそうだった。
けれどあの青年…、僅かな間だったけれど、ロンの兄ちゃん、と呼んだ彼の事を考えていれば、自分のしたことは間違いでは無いと、信じて顔をあげていられそうだった。
長い銀の髪、凍てついた翠の瞳、笑わない口元…。ああ、ちがう。最後に笑ってくれたのだった。あの時彼はなんと言っていたのだっけ。
なにしろ自分ときたらとてつもなく焦っていて、どんな言葉を交わしたのかすら覚えていない。
そういえば、ほんとうの名前すら聞いていなかった。ロン兄ちゃん、という仮の名でよんでいるうち、それが本当に彼の名前であるかのように錯覚していた。ずっと、そばにいてくれるかのように。
…おら、ほんとにうっかりものだぁ。
そう思ってくすりと微笑んだ時、ふいに背後で男の声がした。
「や、この状況で笑いがでるとは。
 これはまた、剛胆なニエを連れてきましたな」
びくりとして振り向く。
いつの間にか入り口が開いており、のっぺりとした白い顔に、細長い耳を持った官服の男が立っていた。
ニエ…?
不吉な響きを持った言葉に身を固くするマミには構わず、男は明るい調子で自分の背後に声をかけた。
「出来たら少々手を加えたいくらいですな、ヨム将軍。さぞ効果的な呪砲が撃てるとおもいますが」
そこにマミを連行した老人が立っており、無表情のまま首を振った。
「時間がないのだ。すぐに撃ってもらいたい」
「やや、そうでしたか。仕方ありませんな」
あまりにあっさりと交わされる会話。
座り込んだまま、マミは静かに理解した。
ああ。
ああ、自分は死ぬのか。
床についていた両手が、細かく震えた。恐怖がこころのいちばん奥に染み込む前に、眼を閉じる。
銀の髪の、悲しい神様の横顔がみえる。
自分は、この面影だけは失う事はないだろう。何があっても。からだをなくしても。魂だけで、きっと、きっと覚えている。
眼を開いた。震えは止まっていた。
そんなマミの様子を見遣って、官服の男がつまらなそうに呟いた。
「やれやれ。ほんとうに珍しいんですがね、命乞いをしないニエは」

意識をまっくろに塗りつぶしていくものにかぼそい力で抗いながら、マミは思った。思いつづけた。
ずっと…いっしょにいられるなんて…夢のようなことを、かんがえてしまったなあ…。
ごめんね、ロン兄ちゃん…。
いつでも出ていけたのに。出て、いきたがってたのに。
おらが泣いたもんだから…ずっと、いてくれたんだよね…。
おら…嬉しくって。いつも仏頂面だったけど、兄ちゃんがすごくやさしいってこと、わかってたから。うれし、くって…。
だから、甘えてしまったんだなあ…。
ほんとは、ついていきたかったんだ。
夢のような願いだって、わかってたさぁ…。
けど…。もしこの鈴に、おらの魂をうつすことが出来たなら。この鈴になって、ひっそり、あんちゃんの側で揺れているだけならば。それなら…、そんなに邪魔にはならんよね?
鈴になる、だなんて無茶なことだって思うよね…。
でも、おら、出来る気がするんだ…。
だってもう、おらのからだ、とけてしまった。
黒くて息がつまって、ぞっとするようなあの塊のなかに…きえてしまったから。
だから、きれいなきれいなこの鈴に、ぎゅうっと、あんちゃんを好きなきもちだけをうつして…そして、連れて行ってほしい…。
一緒に。
どうか、どこまでも、一緒に。

村を逃れ、帝都へと通じる森の中で、フォウルは何度めかの逡巡に足をとめた。
マミを一人おいて、ここへ来てしまった事は本当に正しかったのか。
だが、そう考えるそばから自問する。
正しいとはなんだ…?
為すべき事、為さぬべき事。盟約が破棄されたときから、正しさの意味など、とっくに曖昧になってしまっている。自分も、人間達も。
その時。
(そんな…。)
耳もとで囁かれたかと思う程近い声に、フォウルは、はっと周囲を見渡した。
(そんな、悲しい顔…。)
そうだ。名乗る事の出来ないフォウルが、昔語りのように、自分と、自分を裏切ったヒトの話を聞かせていた時、あの娘はまるで、フォウルの代わりのように泣きながら口を挟んだのだ。
(ロンあんちゃん…)
その瞬間だった。

視界が、一瞬にして黒いものに覆われた。
それは、降り注いだ、というのに近い。あまりに局所的な、黒い雨。
と同時に、地面に叩き付けられる。尋常ではない重みが、体全体を押し潰し、肉を貫き、骨を灼いていく。
堪え切れず、喉元にこみ上げた血を吐き出して、あまりにどす黒いそれを凝視する。
呪いか…!
起き上がる事の出来ないまま、かろうじて首をあげると、森の様子は一変していた。
赤黒く立ちこめる霧のなか、まるで一瞬にして季節がうつろうたかのように、木々はおそろしいいきおいで葉を落としていた。
目の前にぼたりと鳥が落ちる。息絶えたその羽がざわざわと逆立ち、白濁した眼の周囲の肉が、ぼこぼこと波打つ。
ヒトは、こんなことまで…。
無惨な鳥の骸からフォウルが眼を背けた、そのとき。
チリン…。
体が、石になったように思えた。
この場で、もっとも聞きたくなかった音。
だが、頭のどこかで、いまそれを聞くだろうと、わかっていた音。
眼を逸らす事ができない。フォウルの視線のさき、血の色の帳のなかぼんやりと光って、マミの鈴が転がっていた。
「…っ、くはっ」
こみ上げた血をもういちど吐き捨てる。震える手を伸ばして、やっとそれを握りしめる。
掌のなかで小さく、りんと鈴が鳴る。最後に見た泣き笑いの顔が浮かんだ。
ニエにされたのか。

もっとも効果的に呪いを発動させるには、標的と心理的に深く繋がったニエをつかうこと。
だから、竜である自分にこれほどの傷を。
「そうか、ヒトは…」
ふいに、すぐそばで弾けるような哄笑が起こった。
狂ったようにつづくそれが、己のものだと知ってもなお、フォウルは止めることが出来なかった。
見ろ、自分は生きている。
あの娘の思いは、神を殺せはしなかったのだ。呪いの傷もいずれ治癒する。跡形もなく。
ならば…!
握りしめた拳を、フォウルは思いきり地面に叩き付けた。
ならば、マミは無駄死にではないか…!!
ただ、行き倒れの男を助けて、介抱し、笑顔と、やすらぎを、与えて…。
たったそれだけのことが、あの娘をニエにさせた。
「愚かな。どこまで愚かなのだ、ヒトは…」
そして、マミの思いに殺されてやることが出来なかった、自分も。
いつしか、視界は血の色よりも赤く染まっていた。ぎり、と歯を噛み締める。
これをした連中を、決して赦すものか。

ひとりの娘の死が、フォウルに心を決めさせた。
ヒトは。うつろうものは、存在するに値しない。


フォウルは、どこまでも純粋すぎた神だった。
彼の記憶の海にたゆたいながら、リュウは思う。
…本当は、帝位なんてどうだってよかった。彼が盟約に固執したのは…半身を、待つためだ。
今度こそ完璧なうつろわざるものとなって、そして、うつろうものの願いを叶えようとした。
それが、召喚されたうつろわざるものの、ただひとつの役目だから。
赤ん坊のようなフォウル。ただただ、彼は、あたりまえに、神であろうとしただけなのに。
ボロボロになりながら彼が問いかけてきた言葉が耳に蘇る。
『お前の見てきたヒトは、残忍ではなかったか?』
『お前の見てきたヒトは、愚かではなかったか?』
意識だけで泣けるものならば、リュウは泣きたかった。
哀れなフォウル。
ヒトのすべてが、彼が思いをかけるに相応しい存在であったなら、どんなによかったろう。
けれど、リュウは知っている。ヒトは残忍で、愚かで…ときに、どうしようもない存在になるけれど…。
ニーナの笑顔をみたときの、うれしさ。首筋にまわされた手のぬくもり。抱きしめあう重み、腕の中の確かな感触。
愛しい、という思い。

フォウル。聞こえなかったかい。
君に、ずっとよびかけている声があっただろう。

ロンあんちゃん…。


リュウは眼を開けた。
握りしめていた掌を、そっと開く。
きんいろにひかる、小さな鈴。
いまはひとつに溶け合った半身が、絶望と哀しみのなかで、片時も離さず身につけていたもの。
みつめていると、記憶の海からひとりの娘の笑顔がうかび、音のないその映像のくちびるが、な、か、な、い、で、と告げる。
この胸の痛みは、フォウルのもの。
左の眼から、涙がこぼれた。つう、とすべり、掌の鈴に落ちて砕ける。
『好きだの、信じるだの…、そんなはかないものが何になろう!』
これは、そう叫びながら、彼の魂がこぼしていた涙。
そっと揺らしてみる。激しい戦いのなかで形を損なった鈴は、音をたてない。
ちいさなすずは、役目を終えたのだ。
フォウルの涙はこれが最後。
うつろわざるものは、もういない。
ヒトに裏切られ、絶望し、憎んで憎んで憎んで憎み切れず、さいごには赦すことを選んだ悲しい神は、もう。

もういちど掌を握りしめ、胸に押しあて、半身のリュウとして思う。
ありがとう。いつも、どんなときも、ぎりぎりの瀬戸際でフォウルの魂をこちらがわにひきとめていたのは、君だった。
君にしかできないことだった。

いまはただ、やすらかに。
銀の竜は、やっと、きみとおなじゆめをみることができる。

あとがき

これまた随分昔にかいたものです。ブレス4をプレイしたこと自体、発売から随分遅れてでした。
でも4といえばフォウル、フォウルといえばマミさんです(´;ω;`)
ソン村のイベントをみながら感じた事をなんとか形にしたくて、じたばたしながら書きました。