くがねのねがい

わたくしの名前は、くがねと申します。
漢字に致しますと金とかきます。ええ、秀衡公が建立なすった、あのまばゆいうつくしい金色堂の金でございます。
なんでも、ここ平泉は京の方々に黄金の都とよばれているとか。
確かに黄金も採れますし、豊かで満ち足りたこの地の有様を黄金と呼びならわすのはいかにも当然のことでありましょうね。
けれど、わたくしが名前を頂いたのは、ほんとうはその金からではないのでございます。
もっとずっとうつくしく、尊いものから、私の名前はとって頂いたのです。
つけてくだすったのは御主人様。
藤原秀衡公がご嫡子、泰衡さまでございます。

「どうだ、うつくしいだろう」
鼻先を持ち上げて秋のはじめの風の匂いを嗅ぐと、いつでもあの日のことがおもいだされます。
まだ少年だった泰衡さまが、果てなく続く金色の大地で自慢げに振り向かれたときのことを。
背後にあったのは稲穂の海でございました。どこまでもどこまでも、きらきらと輝いて風にゆれていたものです。
「奥州のほんとうのたからは黄金がもたらす富ではないぞ。この金色の大地だ。このまばゆい稲穂をはぐくむ平和こそがたからなのだ。それは、黄金とはくらべものにならぬくらい尊いものだぞ」

ほんといいますとね、わたくしはそのときもう我慢出来ないほどにおなかをすかしていたんでございます。
ですから泰衡さまがなにをおっしゃってもただただ情けなく鼻を鳴らすことしかできなかったんでございますよ。
なにしろまだほんの子犬だったものですからね。
泰衡さまはつまらなそうに口の端を曲げると、わたくしの背中を摘んで猫のように持ち上げなすったものです。
「ふん、拾い主に似てあまり利口では無さそうだな」
拾い主と言うのは源九郎義経さまのことでございます。
いきだおれていたわたくしを最初に抱き上げてくだすったのは、九郎さまだったのでございます。
平家の手をのがれて奥州に身を寄せてらしたその頃の九郎さまは、快活な中にもときおりさみしい眼をなさるお子でした。
わたくしに同情してくだすったのも、ご自分と重ね合わせてのことだったのでしょう。

不意に、泰衡さまがおっしゃいました。
「おまえの毛色はこの大地に似ているな」
そうでしょうか。わたくしの毛は汚れてくすみ、痩せ細った体はそれはみじめだったはずなのです。
そのときようやくはじめて、わたくしは泰衡さまのお顔をしっかりと正面から見つめることが出来ました。
そして、その真摯な眼のいろに気付いたのでございます。
ああ。
このかたはほんとうにほんとうに、この景色をたいせつにおもっていらっしゃる。

黄金の海を一心にみつめ、その照り返しを瞳に映して、泰衡さまはおっしゃいました。
「くがね。この金色の大地からとって、おまえの名前はくがねにしよう」
そのときわたくしの胸に沸き上がった思い。それは、うまれてはじめて知った、誇りというものでした。
犬というものは、誇りが無いといけないいきものなんでございますよ。
暮して行くのに不自由はありませんが、あるとなしとでは、毎日の張りが全然違うものなのです。
泰衡さまは、汚れたちっぽけなわたくしに、誇りをお与えくだすった。
わたくにこの地の平和のあかし、とても尊い名前をお与えくだすった。

ですから、くがね、と呼ばれるたびにわたくしは毛並をふっくらと逆立ててしっかりと大地を踏み締め、こんこんと湧き出る泉のように尽きせぬ誇りに胸を張るのでございます。
泰衡さま。
くがねも祈ります。泰衡さまのたいせつなこの地に、幸せがいつまでも続きますようにと。

あれからどれほどの歳月がながれたことでしょう。
九郎さまがこの地を去られ、泰衡さまはますます難しいお顔をなさるようになり、秀衡さまに老いの兆しが見えはじめ…。
それでも季節がめぐるたびにこの地は黄金色に輝いてきたのでございます。
泰衡さまの願われたとおりに。
けれど、今年の秋はいくぶん常とかわっておりました。
お館の周りが妙にざわつき、人の出入りも日に日に激しくなっております。
泰衡さまのお部屋の灯りは遅くまでおとされることはなく、ときには空が白むまでちらちらと揺れているようになりました。
いくさが近付いていたのでございます。
泰衡さまの大切なこの土地が、いくさの炎にさらされるかもしれないのでございます。

そんなときでした。九郎さまが、あのかたを伴って平泉に帰っていらしたのは。
そのかたは、はじめておあいしたときからどこか懐かしむような眼でわたくしをごらんになりました。
そして驚いた事に、はじめからわたくしに「くがね」と呼び掛けて下さいました。
思わずわたくしが一声吠えますと、ほんのりと目を細めてほほえみ、内緒話のようにかがみこんで、また会ったね、と囁かれました。
そうすると、頭の上にのせられたやさしい掌に眼を閉じながら、いつしかわたくしもずっと以前からこのあたたかさを知っているような、そんな気持ちになってくるのでございます。
ふしぎなかた。
そのかたこそが、源氏の神子さまだったのでございます。

それから幾日か過ぎた頃、わたくしはいつものように夕刻の見回りに出掛けました。
けれど、いつもよりはすこしだけ上の空だったかもしれません。
わたくしは、もういちどあの神子さまにお会い出来ないものかと考えながら歩いていたのです。
ですから、金色堂へつづく道の途中で座り込んだ神子さまをみつけたときにはたいへん驚きました。
「あ、くがね」
ひざを抱えて座り込んだまま、神子さまはわたくしを手招きなさいました。
わたくしは走り寄って、赤く腫れた足首に鼻先を近付けました。
「ちょっと転んでね。挫いちゃったんだよ。
 くがねがきてくれて良かった。さすがに少し心細かったんだ」
おまかせください、とわたくしは胸を張りました。
頼りにされること、信頼されることほど犬にとって喜ばしいことはございません。
すぐに手近なところまで人を呼びに走ろうとして、わたくしは耳に馴染んだ蹄の音に気付きました。
ぴんと耳をたて、よくよく確かめてから、わたくしはほっとして神子さまを仰ぎました。
大丈夫。この蹄の音を、わたくしはよく知っているのでございます。

「神子殿、こんなところで何を」
「泰衡さん」
泰衡さまは視線を落としてこの場の様子をみてとるとすぐに事情を呑み込まれたようで、不機嫌に眉をひそめられました。
「このようなことがないようにと、銀をつけておいた筈だが」
危なっかしく立ち上がって、埃を払いながら神子さまは仰いました。
「いちど高館に戻ったんですよ。銀はちゃんと送ってくれました。そのあとで出て来たから」
はた迷惑な、という表情をありありと浮かべて小さく息をつくと、泰衡さまは馬を降りられました。
「お送りしよう。放っていったら後で九郎になにを言われるかわからん」
ああ。この言いよう。
わたくしは耳を覆いたいきもちで尻尾を垂れました。
けれど、すぐにはじけるような笑い声が降ってきて、驚いて顔をあげると、神子さまが笑い転げてらっしゃいました。
「泰衡さんて、やっぱり九郎さんにそっくり」
あんぐりと口を開けるわたくしのまえで、なおも笑った神子さまは、その拍子に痛めた足に力をかけてしまったらしく、小さく呻くと足首を押さえてうずくまってしまわれました。
「あいたた。ああ、まってください泰衡さん」
見れば、泰衡さまはさっさと騎乗して背中をむけているところでした。
「それだけ元気なら放っておいても心配ないようだ」
「いえいえ。ほんとうはすこしつらかったんです。乗せて行って頂けると助かります」
渋々というように泰衡さまは馬の頭をめぐらせて振り向かれました。
雑草の図々しさか…という呟きは、さいわいにもわたくしの耳にしか届かなかったようでございます。

神子さまを馬上にあげると、泰衡さまは手綱をとってそのまま歩き出されました。
てっきり同乗して行くとおもわれたのでしょう。神子さまは目を丸くされました。
そうなのです。
生真面目というか堅物というか、この方はこういうところは妙にきちんとしていらっしゃるのです。
「ごめんなさい。馬をとってしまうつもりじゃなかったんですけど」
幾度も謝る神子さまには申し訳ないことですが、わたくしはすこし胸踊る心地でおりました。
泰衡さまの隣を歩かせていただくのは、実はとてもひさしぶりのことだったのです。

「似てはいないと思うが」
しばらくして、泰衡さまがぼそりと呟かれました。
「九郎さんに似ているのは嫌ですか」
「馬鹿に似ていると言われてはな」
あああ。
わたくしは頭を垂れました。
九郎さまは、泰衡さまのたったひとりのおともだちです。馬鹿がつくほど真っすぐで正直で、重荷を器用に逃す事も出来ずぜんぶ身に受けてしまう、そんな生き方をどれだけ泰衡さまが心配なさっておられるか。
けれど、一体だれがこの「馬鹿」のなかに親しみを感じ取って下さるでしょうか。たったひとりの友。そう思っている泰衡さまの心中は、おそらく当の九郎さまでさえご存知ではないでしょう。

拾われて、加羅御所で暮すようになってすぐ知ったことですが、泰衡さまはとてもとても誤解されやすい…というより、ご自分から誤解の種を蒔いて歩かれるような方なのでございます。
ですから、九郎さまが奥州をたたれたときも、口さがない者たちはかげでうわさをしたものです。
泰衡さまはさぞほっとされたことだろう、なにしろ御館は嫡子の泰衡さまよりも御曹子に入れ込んでおられたのだから、と。
わたくしは悔しくて悲しくて、すじちがいとわかっていながら、九郎さまのことさえもいくらかお恨み申し上げたほどでございます。
いったい、誰が知るでしょう。泰衡さまのほんとうのたからが、この金色の大地だということを。
このかたが生涯かけて手に入れようとしているものが、富でなく名誉でなく権力でなく、この北の大地の久遠の平和だと言う事を。このくがね以外に、誰が。

けれど泰衡さまはいつもそんな噂など聞こえないかのように振る舞っておいででした。
要するにあいかわらず皮肉屋で厳しくて、誰に対しても不機嫌なお顔をなさっていたわけなのですが、そのお姿を見続けるうちに、わくしにもわかってきたのでございます。
泰衡さま。
泰衡さまには他人の理解など必要ないのですね。
誰がどんな手段を使ったとしても、この大地の平和さえ保たれればいいとおもってらっしゃるのですね。
ご自分の手が、どれほど汚れようとも。人の誹りも憎しみも、望みの代価としてあまんじて受けようとおっしゃるのですね。
ならばくがねももう嘆くのはおしまいにします。
くがねも、もう誰にもわかってもらおうとは思いません、と。

そんな事を思い出しながら歩いておりましたわたくしは、泰衡さまのお声に顔を上げました。
「何か」
「え?」
「言いたい事があるのなら、さっさと言ってもらいたい」
どうやら神子さまは、何か言いかけて呑み込む、という仕草をなさってらしたようです。
僅かのためらいのあと、胸のうちを吐き出すようにおっしゃいました。
「泰衡さん。私達をかくまったことで、ここでは戦がおきるかもしれませんね」
「かもしれない、ではない。戦は起きる。予測していた事だ」
神子さまは、それきり黙りこまれました。
わたくしに口がきけたなら、最初からわかっていて受け入れたのだから気にしなくていいと仰っています、と申し添えることができますのに。
うらめしく思いながら、わたくしはやつあたりで茂みのいなごを追い立てました。

ゆっくりゆっくり歩いて山道を抜け、重なりあって頭上を覆っていた梢がとぎれると、あたりはすっかり夕焼けにそめあげられておりました。
突然広がった景色に、神子さまが思わず、というように叫ばれました。
「すごい」
見渡す限りの、稲穂の海でございました。
朱色がまじり、それはいっそうわたくしの毛色にちかくなっておりました。
そのときです。
神子さまが突然馬を飛び降りられたのです。傷めていない方の足に頼り過ぎて転びそうになり、大地に手を着いた神子さまに駆け寄った次の瞬間、私は抱き上げられておりました。
訝しげに眉を寄せた泰衡さまに向かって、神子さまはよろめきながらも何か嬉しいものでもみつけた童女のように、弾んだ声でおっしゃいました。
「くがね」
はっとするわたくしに頬を押しあて、朱色の光に縁取られて、わずかに目を伏せると神子さまは続けられました。
遠い昔に聞いたあのなつかしい言葉を、優しく、そして力強く。
「これは、くがねのいろですね」

わたくしは思わず首を巡らせて泰衡さまを見上げました。
ふだんから無愛想なそのお顔は、いまいちだんと不機嫌にみえました。まるで、わざとそうしたかのように。
泰衡さまはなにもおっしゃいませんでしたけれど、神子さまは言葉をかさねることなく、ただ風に髪を遊ばせてまっすぐに稲穂の海をながめておられました。
そうして不意に、きっぱりとした口調でおっしゃいました。
「この景色を、焼け野原にはしません」
「なんだと?」
「信じて下さい。私は、そのために来ました。きっと、この土地のすべてを守りますから」
ふしぎな力強さにわたくしと泰衡さまが言葉を失っていると、不意におどけたように肩を引いて、悪戯っぽい笑みを浮かべられました。
さっきのお話ですけど、と言って続けます。
「九郎さんと泰衡さんが似ているのは、口が悪いところ。ひとに誤解されやすいところ。そして、やさしさがぜんっぜん分かりやすくないところです」
九郎さんはね、馬鹿って、気を許した人にしか言わないんですよ。そう言って、包み込むような笑みを浮かべられたのでした。

その笑顔を見上げながら、わたくしはぼんやりと考えておりました。
泰衡さま。
泰衡さまは、他人の理解など必要ないとおっしゃるでしょう。くがねも、それでいいと思っておりました。
けれど…もしかしたらいつか。
わかりにくい泰衡さまの本心を軽々と理解してしまうかたが現れたのなら。
垣根もなにもないように、軽やかに泰衡さまの心に踏み入ってくるかたが、もし現れたなら。
そのときは…。

神子さまを高館までお送りして、わたくしたちも帰路につきました。
泰衡さまは馬を駆けさせることなく、わたくしと共に歩いて下さいました。
そうして、何か考えに沈んでおられるように見えたのは、わたくしの気のせいでしょうか。

すっかり暗くなった道に、やさしく降る光がありました。
十六夜の月です。
満月よりいくぶんゆっくりと昇るこの月には、ためらいという意味があるそうです。
おつきさま、とわたくしはこころのなかで呼び掛けました。
ためらいを乗り越えて、泰衡さまが誰かに理解されたいと願う日は来るのでしょうか。

馬上の泰衡さまの冷たい横顔を見上げ、おつきさま…、ともういちど呼び掛けました。
どうか、くがねのねがいをきいて下さい。
神子さまが、泰衡さまのみかけの怖さに負けてしまわれませんように。
どんな皮肉や意地悪にも、負けてしまわれませんように。
そうしていつか、泰衡さまの孤独を、願いを、闘いを、わかちあうたったひとりの方になって下さいますように。

これはたったいま、ちいさなこの胸に生まれた途方もない願い。
けれどいつか叶えられる予感のする、そんな願いなのでございます。

あとがき

奥州EDの後に、泰衡をたすけるべくやってきた望美ちゃん、のつもりです。

銀ルートをやったときにはこのバカ犬めー!と思ったのですが、なんだか段々金に感情移入して止まらなくなってきてしまいました。
というより「わたし、泰衡の犬になりました!」という紹介文をつけたいと、
ただそれだけのためにこれ書いたといっても過言ではないような、そんな気がするこの頃です。

言葉遣い、もう途中でムチャクチャなの分かったのですがどう直していいかわからなくなって突っ走ってしまいました。
申し訳ありません、犬語ということでお許しを。
おまけに最初、金はオバチャン口調にするつもりだったのでその名残りがあるかもしれません。

十六夜記を遊んだ直後に書いたもので、これまたずいぶん昔のものです。泰衡が馬引いたりしないだろうなぁと今は思うのですが直せませんでした。
拙い文章を最後まで読んで下さって、ほんとうにありがとうございました。