落ち葉の頃に

いちめんの落葉の上に、長い髪が散っていた。
大樹の根元、小さな子供が眠るような格好で少女が倒れている。
傾きかけた夕日がそこにだけ紅色に落ちてゆったりと埃が舞い、肩に登っていた栗鼠は俺を見るといっさんに身をひるがえして消えた。

頬を叩くと、音がしそうな程の勢いで、ぱっと眼が開いた。
「…こんなところで何をしている」
おおかた散歩にでも来て寝入ってしまったのだろうが、こんな山中でそうできる神経が信じられない。
自分の声はいつも不機嫌だが、今日はことさらに不機嫌だと思う。が、そんなことに頓着せず少女はゆっくりと半身を起こすと寝起きの据わった眼をして頬を摩った。
「ひどい。殴る人がいますか」
「殴ってなどいない。気付けに頬を軽く叩いただけだろう」
その起こし方が普通じゃないんだってば、と怒りかけて、ふうっと眼を細めると、なんだか泣き笑いのような表情で力を抜いて笑った。
「眠っていた、だけなのに」
そして、身振りで隣に座るよう促す。
相手のいいように扱われるのは好きではないが、殴ったといえば言えなくもないので仕方なく付き合って樹の幹に背を預けてみる。
樹下に吹き溜まった落葉ががさりと鳴った。
晴れが続いたので、やわらかな褐色に染まったそれらはよく乾いてあたたかい。
だからと言ってこんなところでうたた寝するような酔狂な人間はそう居ないものだが。

あのですね、と言って梢を指差す。
「うちの近くに神社があって、そこの大樹に栗鼠がいるんです。そしたらほら、ここにも」
焦茶の小さな生き物が素早く枝の上を走った。
さっきまでこの女を踏んでいたのと同じ栗鼠だろうか。
「たくさん居るみたいなんですよ。それで嬉しくなって眺めてたら」
帰りたくなったのか、と思った。
すると横目でこちらを見て間髪入れずに、
「帰りたくなったわけじゃないですよ」
と言う。
なんでもわかったようなふりをする女は好ましくない。
渋面で続きを促すと、耳に手を添える仕草をした。
「きいて。ほら、どんぐりが降ってるの。ぽとん、ぽとんって」
言われてみればたしかに、時折ぽつぽつと地面を叩く微かな音がする。
こんなところでぼうっとした経験がなかったのでいままで知らなかったが、毎年やかましく足元を埋め尽くす木の実はこのように静かに降るものなのか。
「雨だれみたいでしょう」
子供の頃から雨の日の留守番が好きだった、と言う。
「雨音を聞きながらいつかうとうとして、起きると母が帰ってきていて。
 眠っているうちに寂しい時間が終わるから」
後半の言葉がかすかに胸を刺したが、あえて馬鹿にしたように笑ってみせる。
「それで聞き入っていたら眠ってしまったと」
「そういうことです」
「いつまでも子供のままのようだな、神子殿は」
八葉のほとんどから引き離し、少女の故郷とは違い過ぎるであろうこの土地で、寂しい思いをさせている事はわかっている。
自分にはやらなければならない事が山のようにあって、いつも側にいてやる事は出来ない。この少女と奥州を引き換えにすることなど、到底出来はしないから。
だが、それならば引き止めなければよかったのだ。自分にはもう願いがあって、ずっと前からそれを選んでいるというのに。
なんの約束も与えてやれないのにこの少女を引き止めた気持ちは、願いとは違う。それが時折自分を困惑させる。
「起きたなら来て頂こう。軍議がはじまるのでな」
お前はまずそのために必要なのだと、そう突き付けるかのように言い放って、立ち上がる。
座ったままの少女に手を差し出すと、困ったように首を傾げたあと、握り返して腰をあげる。
が、何かに逡巡するように歩き出さずにいる。
「神子殿?」
少女は小さく息をついて歩み寄ると、こちらの髪に手を伸ばして、落葉を一枚摘みとった。
そのまま肩や腕に付いていたらしい小さな落葉や埃を丁寧に払っていく。
滅多に無い事だが、されるがままになりながら、何が起きているのか解らなかった。

「ごめんなさい」

真剣さをそのまま音にしたような、謝罪の声を聞くまでは。

…ああ、そうだ。
俺はこの女が倒れ伏した姿をみて、一瞬我を忘れたのだ。
掻き分けた茂みに積もっていた落葉を浴び、栗鼠を追い払う勢いで、その前に跪いて思わず頬を叩いたのだ。
そして、この女はたった一枚の落葉から、すべてを察したのだ。
何でもわかったようなふりをする女ほど鬱陶しいものはない。
が、ふりではなくほんとうにわかっているらしい女の方が、はるかに厄介なものだ。

「二度と、こんなところで眠らないで貰いたいものだな」
不機嫌さに全てを隠してそれだけ言うと、少女は神妙に頭を下げた。
「ごめんなさい、気をつけます」
それと、と続ける。
「ありがとう」
「…なんの話だ」
ううん、なんでもない、と言いながら芯から嬉しそうに笑ってみせる。
探しにきてくれて、ありがとう。
心配してくれて、ありがとう。

笑顔から幻聴が聴こえるようになっては重症だと、顔をしかめる。
このおめでたい女のせいだ。他人の善意に聡く、悪意に疎い。
不機嫌さに隠した本当の気持ちはどちらかというと悪意だ。だから、気付きもしないのだろう。
本当は、お前に故郷を思い出させるものは、全て消してしまいたい。秋に染まる大樹も、栗鼠も、雨だれの音も。
そんな風に思っていることなど。

「さよなら、また来るね」
ぐるりと周囲を見回し、律儀に栗鼠たちに声をかけて、でもどうやって来たんだったかなと呟いている少女を見下ろしながら、二度と来られないように帰りは入り組んだ道を遠回りしてやろうと思い、いや、それならいっそ館の全てを刺草ででも覆って閉じ込めてやろうかと思う。
これは願いではない。それよりもっと貪欲であさましく利己的で、けれど捨てる事の出来ない思い。

少女の視線を追って樹上から覗く栗鼠を見遣り、薄く笑ってみせる。
おまえたちにはやらない。これは、俺のものだ。

あとがき

泰衡がすきですきでたまらんのです…!
十六夜記を遊んだ直後、強烈な願望というか妄想というか、そういったものに突き動かされて書きました。